2018年3月旅行時の帰宅後のお話です。
2号を新天地へ送ってからが~大変でした~( ;∀;)
contents
2018年3月Disney旅行記!!【21】
トゥーンタウンで遊んでいると~
1号から母に特別お年玉プレゼントまじで~!?
3月の寒空でした 精一杯の1号のお気持ちに ほっこり幸せな~ありもあママでした
ラストスパートは、トゥーンタウン→トゥモローランド→ファンタジーランド
途中からちびちび探検隊と大きい子供達(スぺマンにスタンバイ)分かれて行動。
ファンタジーランドは、アトラクションが密集しているので~ちびちび探検隊は 時間の限り駆け回り、乗りました。
4号は大好きな『アリスのティーパーティー』、5号と母は『ピーターパン空の旅』がラストでした。
そんなこんなで父の待つ立体駐車場へ着いたのは~22時30分ごろでした
帰宅の途へ!?
パークでは、疲れていながらも動ける母。
エントランスを出て、駐車場に向かうと 途端に、イッキに身体に疲労がやってきて、足が重くなるのが面白い。
これが魔法が解けるってことなのか!?
皆が揃って、車に乗り込みました…
「さあ!お家へ帰ろう!!」
…ではなく!?
このあと…向かわねばいけない先が残っているので、東京ディズニーリゾート内での最後の悪あがきです!!
向かうはアンバサダー
もしかして父の具合が悪いのでもう一泊するの~!?
という話ではなく…
↓朝の話に遡りまして、預けていた荷物を取りに戻るのです。
再びアンバサダーホテルへ
ランドホテルやミラコスタは、ホテル駐車場に車を置いておけるのでホテルへ戻るのが当たり前ですが
アンバーは、昼までしか車が置けない関係で、パーク駐車場へ移動しなければならず、荷物を預けている場合は取りに戻らなければなりません。
もちろん、朝のうちに荷物を車に乗せて出ていればいいのですが
我が家はパークに一刻でも早く入りたいので、お部屋預かりを選びます。
この方法は面倒ですし、ベルキャストさんのお仕事を増やしてしまって恐縮なのですが…
母は、ワンクッション入ることで、帰宅の途に着く淋しさが少しまぎれる??ので この方法を選ぶのです。
各ディズニーホテルのベルキャストの皆様
今後も、このような形でお世話になると思いますので、よろしくお願いいたしますm(__)m
ということで、荷物を受け取り、積み込んで
ベルキャストさんに見送られて~今度こそ帰宅の途に着きました。
2号新天地へ~
帰宅の途へ~
その前に…いよいよ、2号とのお別れ。
Disney旅行の後に新天地へ置いてくるのは、1号の時と同じ。
父「しっかりやれよ」
母「元気でね、頑張ってね。」
2号「は~い、気をつけて帰ってね~」
楽しかった後の帰路の淋しさに、お別れの淋しさを重ねて…2号を置いて後ろ髪を引かれながら、車は出発しました。
帰宅の途へ
再び高速に乗り出発しました。
ところで、父の体調が良くなったか?というとそういうことではなく…
高速道路は、線をタイヤが跨ぐと、危険を知らせる[ボ~~~!!]という、鈍い音が鳴ります。
それが鳴りっぱなしになるくらいあっち行きこっち行き、フラフラと運転をしていました。
母も3号も眠りながら、その音に反応して起きては寝てを繰り返しました。
母は、もしかしたら死ぬかもしれないと頭をかすめました。
母「あまり、眠いようなら、一度サービスエリアに停めて一寝入りしたら?」と促しましたが
父は、車を走らせ続け、何とか無事帰宅できました良かった~生きて帰ってきた~
まさかのパニック発作!?
2号を置いた後、帰りの車の中では、淋しいながらも普通だった母。
眠さに負けていたとも言えますが…変わらずおりまして
夜中に家について、5号を寝床に寝かせ、母は お風呂に入って寝むりにつきました。
すると、眠りについてどのくらいしてか?眠りが浅かったのか?夢なのか?
突然の不安感、息苦しさ、動悸のような息苦しい症状に襲われました。
2号がいなくなったことのとてつもない不安や淋しさが押し寄せてきました。
母は、以前少しパニックの症状が出たことがありまして、お守りに…と一番軽い安定剤を処方されていまして、とりあえず薬を飲んで横になりました。
が、朝まで寝つけず、涙が出てでて仕方がありませんでした。
3号学校へ
3号、4号の学校支度時間になりました。
3号は起きましたが、4号は喉が痛いと訴えまして、休ませることに。
3号に朝食を食べさせながら
夜中に自分が、おかしくなってしまったこと
いずれ3号も出てってしまう近い将来の事、めそめそ
その後も次いで4号5号と離れていってしまう…そうなったら、どうしたらよいのだろう…と、母は めそめそと泣きました。
3号「まだ先やん!5号まで行く前に、1号や2号に孫じゃ~孫!!じゃ~行ってくるね~」
孫??か…でも一緒に誰か住んでくれないと~母の淋しさは消えません。
母「めそめそ」
病院へ
父は体調不良のままぐったり、熱あり。
4号、喉の痛み&発熱。
5号もお熱あり。
これでは~ダメだ~と、病院へ向かいました。
隔離室で待っていたところ、全員インフルエンザの検査をされました…
ドンピシャでした…!!
母だけ陰性、無事でしたが…他三人はインフルエンザA型 陽性マジで~!?
ということで、4号、5号出席停止決定。
学校と保育園に連絡し、解熱後二日明けてからの出席を申し渡されました。
母も受診(ほぼカウンセリング?)
ひとり無事だった母、ついでに、お守りの安定剤を処方していただきたいと先生にお願いしようとしました。
が!?昨晩からの精神状態、先生に話す間に涙が止まらない、完全に情緒不安定人間
父が熱や身体の痛みでぐったりとしている隣で、母はめそめそ泣いている。
傍から見た方にどう映ったのか??
ちょっと笑える、もしくは狂っている家族!?
先生「子供の成長は頼もしいもの、遊びに行く楽しみができたじゃない」となだめてくださりまして。
安定剤+漢方薬を処方してくれました。
漢方の効き目か?先生のお言葉が効いたのか?わかりませんが、それから 少し落ち着いて過ごせるようになりました。
あとあと、この漢方を調べると更年期などにも用いられるようでして…少し早い お年頃~を実感した母でした。
看病に明け暮れた母
現在は、コロナに比べるとインフルエンザの方が可愛いものになってしまっていますが…
インフルも人との接触があるので 仕事はできないため、商売はお休みせざるを得ませんでした。
また、父の症状が一番酷く、熱も身体の辛さも子供達の比ではありませんでした。
そんな訳で、約一週間ちょい看病にどっぷりだった母…
反って母の精神状態を保つのに功を奏したとも思います。
その二日後、3号が頭が痛いと言いだし、早退。
病院に連れて行ったところインフルエンザA型陽性とわかり、これまた出席停止。
発熱も無く、一番元気な 学校おさぼり娘と化しました。
ということで、4人の看病となった母。
部屋から出れない奴らのために、何往復もして三度三度飯を運ぶという仕事に明け暮れ
約一週間のインフルとの闘い!?は、母の武勇伝です。
帰宅できたことの奇蹟
ところで…帰宅時には、たぶん熱が上がり始めていたのでは!?の父。
基本的に低体温の父、平熱は34度後半~35度前半。
なので、36度台でも本人には辛い、苦しい。
帰宅時、母の脳裏には、アンバサダーにもう一泊という選択肢がチラつきました。
でも、子供達の学校の事もあり、言い出しませんでした。
そこは父も同じ考えだったようでしたが…動物的な勘が働いたのか⁉
もし泊ってしまって何かあったら 帰れなくなるかもしれないと考え、言い出さなかったようです。
また、帰路途中に線をタイヤが跨いで[ボ~~~!!]という、鈍い音が鳴っていたのは、熱が出始めて朦朧としていたということだったのかもしれません。
母は「眠いようならSAで、ひと寝むりしたら?」と促しましたが、父は停まる事はしませんでした。
これもやはり動物的な勘があって…寝たら動けなくなるとの考えだったとか。
とにもかくにも~~本当に無事につけて良かった(; ・`д・´)💦
生きて帰ってこれてよかった…
帰宅までが旅行、Disneyの神様がたどり着かせてくれたのかな~ありがとぅ
つづく
最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m!!
2018年3月Disney旅行記は~こんなオチがありました。
コロナにも関連するので、感染に注目して、我が家が どのように過ごしたか考えてみたいと思います。